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浦和家庭裁判所川越支部 昭和57年(少)2770号 決定

少年 K・N(昭三九・一一・三〇生)

主文

少年を浦和保護観察所の保護観察に付する。

理由

(本件非行に至る経過)

少年は、昭和三九年一一月三〇日、実父K・G、実母K・N子との間の長男として出生し、小学校五年のとき実母を、中学一年のとき祖母を、同三年のとき祖父を、病気で次々に失つたため、同五五年四月、埼玉県立○○高等学校に入学してからも、実父、弟の三人暮らしを続けていたが、同五六年一一月一四日ころ、実父はW・K子(同一六年一二月二二日生)と再婚し(同年同月一七日、婚姻届出)、そのころから同女と同居するようになつたところ、神経質で、内向的な少年は、勝気な継母と素直になじむことができず、そのうち、同女が温和で無口な実父にかわつて家の中をとりしきるようになり、少年に対しても遠慮なく注意などをするようになつたことから、同女に反感を抱くようになり、同年四月ころ、近所に住む叔父のK・K方に身を寄せたこともあり、帰宅してから胃炎を患つたりして、それまでクラスの上位を占めていた高校の学業成績も中位まで低下し、かねてからの念願であつた公立大学の医学部志望も断念せざるを得ない状況となつた。少年は、同年八月一日から三日まで、親族一同と伊豆に旅行をしたが、その際も、継母がことさら自分ばかりを無視しているように思い込み、家庭内での孤独感を深めるとともに、ますます継母への反感をつのらせ、八月三日帰宅してから、継母に仕返しをする目的で、同女が日常使用している柳刃庖丁を洋間の長椅子の下にかくすなどの行為があつた。その後、少年はしばしば所沢市内に遊びに出掛けることがあつたが、八月八日も午後七時ころ、遊びから帰宅したところ、継母から「毎日所沢に出掛けて何やつてんの。勉強でもしたら。」と強く注意され、その言い方に憤慨したが、そのときは口答えをせず、同日午後一一時一〇分ころ、床に就いた。

(本件非行事実)

少年は、同月九日午前二時二〇分ころ、目がさめ、昨夜の継母の言葉を思い出しているうちに同女に対する憤激の念がますます高まり、更に、同女が少年の悪口を近所の親戚に言い触らすのではないかと危惧し、この際、今までの同女に対するうつぷんを晴らすとともに、自分の悪口を言えないようにしてやろうと決意し、洋間にあつた鉄パイプ一本(直径二・三センチメートル、長さ九三センチメートル、ぶらさがり健康器を分解したもの)を携え、実父が目をさまして制止する場合に備えて果物ナイフ一丁をズボンの右脇後方にはさみ、同日午前三時一五分ころ、自宅一階八畳の両親の寝室に至り、就寝中の継母K子に対し、その頭部及び顔面を右鉄パイプで二、三回殴打し、物音に気付いて少年を制止しようとした実父Gに右鉄パイプを取り上げられそうになるや、前記果物ナイフを取り出して立ち向かおうとしたが、その刃体が何かに接触して折れてしまつたため、一階の洋間の長椅子の下にかくしてあつた前記柳刃庖丁を思い出し、これを持ち出して、少年を取り抑えようとする実父に対し、その顔面を突き上げるなどの暴行を加え、よつて、右K子に対し、加療約三週間を要する左前頭部・頭頂部・左後頭部打撲・皮下血腫及び挫創、頸部捻挫並びに胸部・腹部打撲傷、右Gに対し、加療約三週間を要する左頬部・顔面・左前頸部刺創「頭部外傷、左第三指挫創及び胸・腹部打撲傷の各傷害を負わせたものである。

(適用法令)

刑法第二〇四条

(保護処分に付した理由)

一  本件は、昭和五七年九月三日、当裁判所において、少年を中等少年院送致する旨の決定がなされたが、付添人より東京高等裁判所に抗告の申立があり、同年一〇月二七日、原決定の取り消し、当裁判所への差戻の決定がなされたものである。

二  少年の性格は神経質で内向的、いまだ精神発達が未熟で、情緒不安定、思考の柔軟性に欠けて、良好な対人関係をもちにくいところが認められ、依存欲求や愛情欲求が強くて、本件非行当時、これまでその対象であつた実母や祖父母を次々に失い、放任的な実父から十分な愛情を受けられなかつたことから欲求不満であつたうえに、唯一の心の支えであつた公立大学医学部への進学問題も成績が低下することによつて見とおしが暗くなり、極めて不安定な精神状態にあつたところ、実父が再婚し、家庭に継母が来たため、これに実母にかわるやさしさを求めて依存しようとしたが(たとえば、少年は継母と同居するようになつてから、炬燵に入つている同女の体に、幼児のように手を触れ、同女から再三、叱責されたにもかかわらずこれをくり返していたこと、高校の三者面談に継母が出席することを非常に喜んでいたこと、病気のとき継母が食事療法として与える料理を素直に受け入れていたことなど)、継母は少年の心情を理解せず期待どおり反応してくれなかつたことなどから、いらだち、同女と仲のよい実父やスムーズに親しんでいる弟に対して、いたずらにしつとし、次第に家庭内で孤立感を深め、故意に継母にさからつたり、困らせたりして関心を引こうとしたが、却つて、これが同女にとつて気味の悪い、異常なものとして映り、ますます少年を無視したり、馬鹿にしたような態度をとるようになつたため、両者の間に険悪な雰囲気を生じ、ことごとく対立するようになり、これが徐々に継母に対する敵意となつていつたものであり、本件の非行は以上の経過によつて、少年の同女に対する憎しみが、通常の家庭なら何ら問題とならない日常茶飯的な言葉が契機となつて一挙に爆発したものと認められる。

三  少年は、実父に対しては、子供達に対する放任的、消極的態度にあきたらず、後妻を迎えて、これと親しみ、子供達に関心がすくなかつたことを恨んではいたけれども、継母に対するような反感、憎しみはなかつたもので、前記のとおり、継母に対する傷害行為を阻止させないために、柳刃庖丁で父親に立ち向つたに過ぎず、実父に対する傷害行為は偶発的なもので、当初から意図したものと認めがたい。

四  前記のとおり、少年の実父、継母に対する本件非行は、その兇器、攻撃回数、傷害の部位等からすると誠に危険なものであるけれども、幸い大事に至らなかつたこと、鉄パイプや果物ナイフを携行して両親の部屋に行つたことは一応計画的ともいえるが、鉄パイプは、少年がぶらさがり健康器を分解して、誰にでも見えるように洋間に放置してあつたものであり、実父を傷害した柳刃庖丁も前記のように継母を困らせるためにかくしておいたもので、いずれもこれらの兇器を使用して具体的犯行計画を練り上げていたものではなかつたこと、又、後記のように、実父、継母とも当初から少年の行為を宥恕し、自らの養育態度が不十分であつたと反省していることおよび少年の前記のような本件非行に至るまでの心情を考慮するならば、本件は少年の受験期における継母との軋轢を原因とする、いわゆる一過性の家庭内暴力と認めるのが相当である。

五  少年は、犯行後、自分の責任の重大性を悟り、父母に対する謝罪の気持を表していて、父母が自分を宥恕し、中等少年院送致決定に対して付添人を依頼して抗告の申立をしてくれたこと、東京高等裁判所で取消、差戻になつて、帰宅することができ、学校に行け、無事高校を卒業できたことを感謝し、今年は大学受験に失敗したけれども、来年を目指して予備校でがんばる決意を表している。家庭ではこれまでのように自分のことばかりを考えずに、両親とよく親和し、不満なときは積極的に話し合つて解決して行きたいこと、現在の不安は予備校の生活についていけるかどうかであると述べている。現在の少年と継母との関係は良好で、特別の事態が起こらないかぎり、今後もこの状態は続くものと思われる。

継母は、少年を宥恕し、中等少年院送致決定に驚き、父親とともに付添人に依頼して抗告の申立をし、少年の養育に対して配慮が足りなかつたと反省し、少年の帰宅後は、同人を刺激しないように、事件のことには全くふれずに、つとめて明るく振舞い、埼玉県立○○センターに行つて指導を受けるなど少年に対して気を使い、本件を機会に少年の養育について基礎からやり直す決意を示している。

実父も、少年を宥恕し、継母とともに、付添人に依頼して、抗告の申立をし、少年院在院中は少年に面会に行き、継母同様、埼玉県立○○センターに通い、その指導を受け、これまで少年に対する放任的態度を改め、頼り甲斐のある父親になりたい旨述べており、従来、少年と両親との間をとりなして来た叔父K・Kも、至らなかつたことを反省し、今後はもつと積極的に援助を続ける旨誓つている。

以上のとおり、現在少年の家庭は、少年、父親、継母の間の関係調整が、継母の努力によつて良好に行われており、家庭内に明るさがもどつてきている。

このように良好な状態が続いている以上、少年の健全な育成を図るため、少年を社会内で処遇することも可能であると考えられるところ、少年は精神的にもろく、日常生活の中で生ずる問題を克服していく強さや能力が不十分であり、しかも、今後受験生活を続けるという不安定な状況にあること及び現在は良好であるとしても少年と継母との関係に本件の後遺症ともいうべき緊張関係が存在することも否定できないことなどから、今後、何かの事態によつては、この良好な関係が動揺することも予想されるので、外部からの専門家による援助を要することと思われ、従つて、親子関係の調整と、少年の社会性の確立を図つていくため、相当期間、少年を保護観察に付することを必要と認め、少年法第二四条第一項第一号、少年審判規則第三七条第一項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 大川勇)

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